僕が占って、すごい!
と言われる時、違和感があります。
なぜ、この人は「すごい」と言っているのか?
ふと思うのは、その人と僕が共感覚状態にあるため。
というのがあるのだと思います。
同じ時を過ごすと、どちらが先ということでもなく、先導するものと感覚と脳が自然と共生し始めます。
同じものをみるので、僕がいるために、元型の「すごい」という状態を共有した時、相手は僕が使う言語を、自然と使ってしまうのだろうか?
それぞれのビジョンを見ているはずなのに、同じものをみるのなら・・・。
楽しいこととか、素晴らしいものとか、心地よさも同じく、感じることが出来る。
存在するものは、そうなのかな?
なんて思います。
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